2015年8月4日火曜日

<写真>見えるもの/見えないもの #02



東京芸大で開催された展覧会「<写真>見えるもの/見えないもの #02」を見た。芸大出身の写真家としては柴田敏雄と佐藤時啓の作品に惹かれていたが、それぞれ油絵科と彫刻科の出身である。東京芸大には写真科がないため、写真は先端芸術表現科の分野になる。今回のイベントは先端芸術表現科で教鞭をとる佐藤時啓が中心となった活動で、1980年代から数年おきに開催されてきた。「写真、見えるもの/見えないもの」というテーマは前回の2007年と同じものである。この8年間の写真のデジタル化を踏まえ、もう一度考え直す時期に来たという認識で企画したとのことだ。

「見えるもの/見えないもの」を写真で問題にすることは写真表現の核心に迫るものだ。見えないものを表現するために写真を選ぶ者は少ない。しかし、そこに見えないものを写真によって想起させることは可能だ。あくまで見えるものを見せる写真なのか、見えないものを見せようとする写真なのか、その差は大きい。まったく方向の異なるアプローチと言えよう。

今回の展覧会は13人の作家によるグループ展である。年齢、経験、バックグラウンドの大きく異なる人たちであり、「見えるもの/見えないもの」への踏み込み方に少なからず温度差があるようだ。作家12人によるシンポジウム(司会:飯沢耕太郎)は面白い趣向で、作家本人から作品への思い入れや裏話を聞くと作品の見方も変わってくる。いかんせん作家の数が多いので、作家と作品の紹介で終始し、テーマについての討論がなかったのは残念であった。

シンポジウムの話題として「デジタルと銀塩のどちらを使うか」があった。出展者の大半は中判以上のフィルムを使用しているが、印画紙が入手困難になって徐々にデジタルあるいはハイブリッドへの移行を余儀なくされているようだ。若い作家にフィルムへのこだわりが強いことは意外であったが、デジタル時代に写真を始めた人はフィルムに特別な価値を見出すのかもしれない。中判以上のデジタルカメラが高価すぎるという事情もあるようだ。

個人的にはOsamu James Nakagawaの漆黒のレリーフ(これはもはや写真とは呼べない)と今義典のユーモラスな作品が印象に残った。(敬称略)

0 件のコメント:

コメントを投稿