2015年8月9日日曜日

<事物>1970年代の日本の写真と美術を考えるキーワード



<事物>1970年代の日本の写真と美術を考えるキーワード」が国立近代美術館で開催中だ。小さな企画であるが、この潮流を分かりやすくまとめている。私がカメラを持ち始める前のことなので新たに知ったことが多く、新鮮な気持ちで見ることができた。この時代の主な出来事を列挙してみる。

1968 中平、多木、高梨、岡田ら「プロヴォーク 思想のための挑発的資料」創刊
1970 都美術館 東京ビエンナーレ「人間と物質」
1971 パリ青年ビエンナーレ(中平卓馬の出展と撤退)
1972 赤瀬川原平ら「四谷階段」(トマソン第一号)
     森山大道「写真よさようなら」
1973 中平卓馬「なぜ、植物図鑑か」
     同「ウジェーヌ・アッジェ 都市への視線あるいは都市からの視線」
1974 北井一夫「村へ」
     国立近代美術館 「15人の写真家展」(北井、篠山、高梨、中平、等)
1975 大辻清司「大辻清司の実験室」、高梨豊「町」、篠山紀信「晴れた日」
     須田一政「風姿花伝」
1976 篠山紀信・中平卓馬「決闘写真論」
1977 中平卓馬 昏倒事件

私にとって流れの中心は中平卓馬である。あの言葉の魔力と実生活の劇場性は十分にカリスマティックである。感情移入の強いモノクロから即物的なカラーへの転向は衝撃的であった。ただ、これは多くの写真家がたどる共通経路かもしれない。自分の写真を振り返っても、次元が違うとはいえ「事物」への傾斜が進んでいる。

「アサヒカメラ現代の写真 '76 事物へのまなざし」巻頭言を引用する。「(前略)ではなぜ、事物なのか。日常の中に異常を求めるのではなく、日常そのものを提示する。写真家にとって世界とは事物だ。事物に語らせるものこそ写真である。その写真は記録を超え芸術を超える。(後略)」芸術を超えるとは大仰な物言いではあるが、これが写真の王道であろう。

前回、「<写真>見える物/見えない物」という展覧会・座談会を話題にした。やはり写真は「見える物=事物」を見せるのが本筋だ。そこから見る者が何かを想起すればよい。想起させる力は写真家の思いや意図よりも事物の方が強い。






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